Life Logについて
はじめまして、このサイトの運営者兼プロライターであるしんのすけです。
このサイトでは「思考をひとつの強力なツール(道具)として活用して、自分の人生を楽しく生きる」ということをテーマとしています。
…パッと聞いた感じだとよく意味がわかんないですよね。
なので、少し説明していこうと思います。
自分はこの世界の”観測者”
「”この私”が死んだらこの世は存在しなくなるか?それとも存在し続けるか?」という感じの話ってよくありますよね。
普通に生きてたら「いやぁ、そりゃ存在し続けるでしょ。笑」って思う人の方が多いでしょう。
だって他人が死んでも世界は続いているのに、自分が死んだら世界が終わるなんて馬鹿げてる。
でも実際のところ、こんな馬鹿げた話は結構古くから哲学として考えられていて、いまだにハッキリとした答えは出ていません。
で、なんでこんな解釈が生まれるのかというと、自分は物事を”認識”している存在であり、物事を”解釈”している存在だからです。
例えば、目の前にりんごが置いてあって、「りんごだ!」と考えたとします。
これは「りんごが存在している」とも言えますが「観測者がりんごを認識した」とも言えます。
じゃあもし、りんごを認識する”この私”がいなくなってしまったら(死んでしまったら)、りんごは存在していると言えるのでしょうか?
ようするに、「自分が死んでしまって世界を認識できなくなってしまったら、そこに世界が存在してるって言えない(わからない)んじゃないの?」ということです。
寝ていて目の前が真っ暗で、意識もない状態のときに「世界が存在している!」って証明する手段はありません。
だから、この世界というのは、自分が観測者であることによって成り立っているともいえるわけです。
自分はこの世界の”解釈者”
こういう哲学的な話は個人的にすごく好きなんですが、ハッキリ言っていくら考えたところで意味ないんですよね。笑
世界が存在してようが存在していまいが、現実世界がバーチャルであろうがなかろうが、僕らは”いま生きている”という実感がある以上、僕らの意志とは関係なくこの世界に放り込まれているような状態なんです。
例えば「この世界がバーチャルリアリティ(仮想現実)であることが世界的に証明されました!」というニュースが発表されても、お腹は空くし、明日の仕事が休みになるわけではないし、宝くじが当たるわけでもない。頬をつねれば痛い。
つまり、真理が解明できても、変えることができないのなら現実世界での生活は今までどおり強制的に続いていくということです。
なので研究者ではない一般の人からすれば「世界は本当に実在しているのか」よりも「この世界でどう生きるか」の方が、よっぽど大切になってくる。
そのうえで僕らに与えられている最強のツールが、僕は『脳』です。(脳が世界を作っているという話もありますが、それは置いときます)
現実世界は自分の思い通りにはならないですが、現実世界に対する”解釈”は一人ひとりに委ねられているんですね。
人のポジティブ・ネガティブを判断するときに、よく「コップの中のワイン」が題材として挙げられます。
コップ半分に入ったワインをみて、Aさんは「ワインがまだ半分もある」、Bさんは「ワインがもう半分しかない」と解釈するというやつです。
つまり「コップ半分に入ったワイン」という『事実』に、AさんとBさんがそれぞれ自分で『解釈』をつけているということですね。
すっごくシンプルな話なんですが、この『解釈』が人生に多大な影響を及ぼしています。
ただし、ここで間違えちゃいけないのが「すべてをポジティブに捉えなければいけない」という考え方です。
ポジティブでいなければならないという人生は、それはそれで苦痛で息苦しい。
大切なのは、解釈の選択肢は自分が握っているということを自覚すること。
そして反射的に解釈するのではなく、意識的に解釈の幅を増やし、自分で人生を楽しくしていくことです。
「ワインがまだ半分もある」、「ワインがもう半分しかない」は選択肢①と②でしかなく、考えれば③も④も⑤もそれ以上もあって、その選択肢の数だけ自分が認識できる世界が増えるということです。
その選択肢の中から自分の人生が楽しくなるようなものを選べばOKです。
世界は自分の想像力の中にある
ここまではワインとかで説明しましたが、これを大きなスケールで考えると自分の人生自体も同じようなものなんですよね。
つまり、自分が見ている世界(現実)っていうのは”主観的な解釈”であり”客観的な事実ではない”ということです。
「自分は不幸だ…」と思っている人も「自分は幸せだ!」と思っている人も、それは客観的事実ではなく主観的な解釈。
その自分なりの解釈が自分の人生にプラスな影響を与えることもあれば、マイナスな影響を与える場合もある。
じゃあ、自分の解釈によって人生が楽しくなかったり、マイナスな影響を感じているのならそれを一旦やめてみようと。
しかし、難しいのはここ。
「はい、じゃあマイナスになるような考えはやめます。プラスになるような考え方に変えます。」って簡単に変えられるもんじゃない。
「楽しく考えた方が人生は楽しい」なんてもんは、頭では理解できていても心が納得しないことが多い。
自己啓発本で一時的に気持ちがグワッとあがっても、時間が経てば「とは言ってもねえ…」という気持ちになってしまうように。
いつの間にか戻ってしまうように、自分の思考のクセみたいなものはすごく頑固。
このサイトでは、その思考のクセを強制して変えるというよりも「楽にするための思考のプロセス」を共有していきます。
思考をひとつのツール(武器)として考える
話を戻すと、このサイトでは「思考をひとつの強力なツール(道具)として活用して、自分の人生を楽しく生きる」ということをテーマにしています。
つまり、思考に振り回されるんじゃなく、思考を武器にする。
例えば、何か家具が壊れたときにドライバーや接着剤があれば自分で治せますよね。
そんな感じで、何か壁にあたったときに『考える頭』はものすごく頼りになります。
このブログのコンテンツでは「そういう時はこうすれば良いよ」というだけではなく、「こういう論で考えると自分で答えが見つけやすくなるよ」という風な、思考のプロセスもできるだけ共有していきます。
思考のプロセスを一度自分の中にインストールすれば、自分で問題を解決できるようになります。
全ての人にしっくりくるかはわかりませんが、”ただの知識”ではなく僕が実感レベルで役に立っていると感じた”知恵”だけを集めています。
これは言葉で説明しようとすると長くなるので、実際にコンテンツを見てもらった方が早いかもしれません。笑
では、コンテンツでお会いしましょう。