自分のことを胸を張って「天才だ」と言える人はどれだけいるでしょう。
歴史上の『天才』と呼ばれる人のほとんどは「自分は天才じゃない。」と言っていますよね。
たまに自称天才もいますが…。
結論から言うと、才能とは自分ではなく、周りの人によって決まります。
今回は「自分の才能を見つけ出す」というテーマでお話していきます。
天才や才能は相対的なもの
『天才』の定義自体は「生まれつき備わった優れた才能」とされています。
「そんなもの無いよ!」と言いたくなる人の方が圧倒的大多数ですよね。
というのも、天才・才能というのは相対的なものだからです。
- 足が速い
- 美人、イケメン
- カッコいい
- 頭がいい
- お金持ち
なども同じです。
これらのものは他人との比較があって初めて成り立つものです。
もし地球上に自分一人しかいなければ、何も比較対象がいないので才能があるのかないのかもそもそも定義することができないんです。
だからこそ才能っていうのは自分一人で探していてもなかなか見つからないんですね。
褒められる場所に行けば天才になれる
天才になれる、というのは言い過ぎかもしれませんが、自分に適切な場所にいけば周りから「すごい!」と言われるくらいのことはできるでしょう。
この『適切な』というのが自分としては感覚的にわからないんですよね。
なぜなら大抵のことは「こんなの全然すごくない。当たり前」と自分だけで思っているからです。
例えば知り合いに英語が喋れる人がいたら「すごっ!」って思いませんか?
でも本人は「いやいや、こんな英語なんて全然すごくないよ〜。」と言うと思います。
確かにネイティブに比べたらすごいとは言えないかもしれませんが、喋れない人からすると十分「すごい」んです。
要するに、自分のレベルに合った「すごい!」と思われる場所があるということです。
つまり才能とは自分の認識であると同時に、他人からの認識でもあるということです。
プロばかりを見ず、自分が一番輝ける場所を探す
『才能』というと、既存のプロを参考にすると思います。
イチロー選手とか、タイガーウッズとか、孫正義さんとか。
そうすると「ああいう風にならなければいけないのか…自分は無理だ…」と落ち込むことがあるかもしれません。
しかし、『才能』とは必ずしも有名になることというわけではありません。
- 人を支える才能
- 人を喜ばせる才能
- 一人で地道にやる才能
という風に人目につかない才能もあります。有名になるというのは結果論でしかありません。
イチローも孫さんも有名になりたくてやっているワケではなく、やってたら有名になったという感じでしょう。
自分には自分の輝ける場所があります。
例えば僕は一人で作業することが好きなのですが、人によっては「一人は無理!」という人もいると思います。
スポーツ好きからすると「家にずっといるのは無理!運動しなきゃ死んじゃう!」と思うかもしれません。
結局、自分に合った環境やスタイルみたいなものがあります。
まとめ
正直自分が世の中でどの位置にいるのか?というのは捉えづらいです。
頭の中で考えていてもそれがすごいことかどうかというのは自分一人で考えてもわからないからです。
なので、自分の興味があることで、世の中を見ながら「この人がやってるくらいのことならできそう」と思うことからやってみるのがいいでしょう。
今回覚えてほしいのは「才能とは相対的なもので、絶対的なものではない」ということです。
では今日はこれで。
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