自己啓発で「自分を許しなさい」「他人を許しなさい」などとよく目にする言葉だと思います。
なんだか自分を甘やかすような考え方だと嫌悪感を感じる人もいるかもしれません。
でも実は自分を許した方が成長が早いんですね。
僕自身もこの意味がよくわからなかったのですが、腑に落ちるようになって人生がかなり楽になりました。
収入も伸びたし、精神的なストレスも減っていきました。
- 「完璧主義で人を許せない」
- 「完璧主義で中々行動できない」
- 「中途半端な自分が許せない」
という人は人生が軽くなると思います。
今回は脳科学の話を交えつつ、図を使ってこの意味を解説したいと思います。
かなり人生が楽になるのでぜひ参考にしてください。
人間は不完全であることを認める
「良くなろう」「正しい人間であろう」と思うことはもちろん素晴らしいことです。
しかし、現実的な話をすると人間は不完全な生き物です。
不合理なことをするし、欲に左右されるし、失敗するし、間違う。
どんなに “正しいこと”を合理的にしようとしても、その”正しいこと”でさえ自分の知っている知識や経験から判断されている不完全なものです。
これを経済学では『限定合理性』といいます。
世の中のあらゆる人の気持ちや、増え続ける知識を全て正確に知ってから行動することは物理的に不可能なので、人は『限定合理性』の中で生きていくことになります。
つまり限定的な知識の状態で判断しながら生きていくしかないということです。

例えば、昔はお店に来るお客さんをチラシを配って集めるのが『合理的』だったかもしれませんが、ネットが登場した今ではネット上の広告を打つことが『合理的』です。
人間も同じく、知識や経験が増えれば「こっちの方が正しい」という判断は変化し、過去に合理的だと思ってた判断も古いものになります。
なので、どれだけ完璧を目指そうとしても、完璧な状態は一生訪れません。
要するに、「不合理なことをするし、欲に左右されるし、失敗するし、間違う。」
これらのことは、あって当然というワケです。抵抗しても無駄なんです。それでOKです。
開き直った方が早いです。
他人を許せない人は自分を許せない
完璧主義な人は大抵人のことが許せなかったりします。
…
偉そうに言ってますが僕自身も昔そうでした。
例えば、「なんでこんな素人みたいな人が芸能人なの?」とか、「この芸人さん面白くない!」とか、「このセミナーわかりづらい!」とか。あらゆる人やモノをジャッジしていました。
その中で認めるのは、一流だけでした。

そうなるとどうなるか?というと、いざ自分が行動しようと思うと、行動できなくなるのです。
人は何においても最初は素人です。
そのときに今まで自分が批判してきた分が自分に跳ね返ってきます。
「こんなんじゃダメだ…笑われる…。批判される…。」
という思考なって、勉強のフェーズから抜け出せずにずーっと行動できなかった時期があります。

そのときに刺さった言葉が「自分を許す」という言葉でした。
つまり、
未熟であることを認める。
欲があることを認める。
失敗することを認める。
それが人間であってダメではない。悪いことではない。
そういう自分も許しなさい。
ということです。

このことがわかってからは安易に他人を批判することもなくなり、かなり心が軽くなりました。
行動の中から成長していく
「自分を許す」ということが腑に落ちると行動できるようになります。
バリケードを張っていた自分自身の心が解き放たれる感じですね。
批判されても「そうだよ、まだまだ未熟だよ。誰だって最初はそうだよ!」と胸をはって言うことができるようになります。
『開き直り』というと悪いことのようですが、正確に正直に判断していることを考えればキチンと冷静に状況を判断できているので『覚醒』とも言えます。
じゃあ未熟なままでいいのか?というと、そういうワケではありません。成長していく必要があります。
“必要がある”というよりは行動していると必然と成長はしていくものです。
前述した『限定合理性』の話ですね。
行動していれば自然と知識や経験が増えて、能力的にも向上していくし判断も変わってきます。

「自分を許すって甘やかすようでなんかちょっと…」と思うかもしれません。
でも紹介した通り、未熟な自分を許して行動していくことは必然と成長を促します。
つまりありのままの自分を認めることは、ありのままでい続けることではなく、行動力を上げ自己成長を促すことにつながるということです。
まとめ
完璧を目指すことはむしろいいことです。
しかしそれが原因で行動できなかったり、精神的に辛いのであれば本末転倒ですよね。
失敗してもいいし、欲があってもいい、未熟でもいい、批判されてもいい。(もちろん犯罪はダメです。)
完成度の高いものは常に行動の中から見つかっていきます。
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