どうも、しんのすけです。
メルマガ会員の方からこんな相談をいただきました。
はじめまして。Youtubeを拝見させていただいています。
-中略-
正直な本音をお話をすると、お金は欲しいですが、働きたくありません。
たくさんのお金が欲しいというよりかは、自分の好きなことをして生きたいという感じです。
しかし現実には働かなければまともな生活をすることができません。
「働かざるもの食うべからず」という言葉もわかります。
しかし、労働のために自分の人生の時間を削っているという感覚があり、心から働きたいと思うことができません。
こんな私の考えは身勝手なダメ人間でしょうか…?
質問ありがとうございます。
結論からいうと、今の時代ではそういう感覚があっても全然不思議じゃありません。
働かない人=ダメ人間、みたいな一般的な感覚がありますが、それは嘘です。
今回は「働きたくないと思う人だダメ人間ではない理由」について、解説したいと思います。
今現在「生きづらい世の中だな…」などと感じている人には参考になると思うので、読んでもらえればと思います。
現代は歴史上最高に豊かな世界
すでに僕らは豊かである
気づいている人も多いですが、現代はもうすでに十分に豊かです。
結論をいうと、だからもう「働きたくない」というのはある種当然というか必然です。
1950年代の戦後間もなくであれば、モノが足りなかったし、作ることにモチベーションがあったと思います。
「ない状態」から「ある状態」になると、生活の質や幸福度は格段にあがります。
たとえば、想像してみてください。
- 冷蔵庫がない生活
- 電気がない生活
- 電車や車がない生活
- 水道が通ってない生活
これらが改善されると、間違いなく生活における幸福度はあがります。
しかし、現代はどうでしょうか。
現代は「ある」から「ある」なんです。
- 「画質がちょっとだけ綺麗になったテレビ」
- 「マイナスイオンが出るエアコン」
- 「洗浄力がアップした洗濯機」
などなど。
ぶっちゃけ、言われないと分からないレベルの違いしかないものや、言われても分からないものも多い。
つまり、現代は「世の中の人が必要としてるモノを作る」ではなく「会社を存続させるために作る」になってしまってるんです。
労働の価値は下がり続ける
「働きたくない」は当たり前
日本では、年間2,550万トンの食べ物が廃棄されていて、そのうちの約612万トンはまだ食べることができる食品です。
必要のない、捨てるほどの量のモノを作ってるということです。
昔であれば、作る必要もあったし、それによって喜ぶ人も多かった。
それによって儲かって、自分も豊かになれたので労働することは非常に意味があることだった。
..
しかし、現代は生活に必要なものはもう十分に揃っている。
パソコンやスマホでは、一日中遊べるゲームや映画、動画をみることができる。
それなのに、朝から夜まで会社、その毎日の繰り返しで自分の時間を確保することが難しい。
「モノを作って国が豊かになること」が目的だったはずの”資本主義”は、いつの間にか「資本主義を維持すること」が目的になってしまっています。
つまり、労働の価値が下がっているということです。
「これがないと生活することができない」なんて、今の時代にはほとんどない。
「人生を賭けて、苦労してまで欲しい(物質的な)モノ」なんて、今の時代そんなに多くない。
そんな時代で「働きたくない」というのはある種自然の流れだと思います。
ニートも働きたくないわけではない
誰だって夢中になれるものが欲しい
テレビニュースではフリーターやニートがあたかもダメ人間のように扱われ、増加していることが悪いことだと報道される。
しかし、フリーターやニートが増加しているということは、働く意欲をなくしている人が増えているということですよね。
でも、働きたくないからといってダメ人間と決めつけるのはどうなんでしょうか。
僕はどちらかというと、“働くことに価値を見いだせない人”が増えているように感じます。
だって、もう十分に豊かなんですから。
キャンプや釣りをしてのんびり生きたい。そう思うのは結構普通無ことだと思います。
そして、フリーターやニートも心の奥底では“自分の存在価値が感じられるようなことをしたい“と思っているはず。
ただ、それが一般の会社で正社員として働くことではなかったというだけ。
ただそれだけで「ダメ人間」と決めつけてしまっていいのか?
昔の価値観で視ると、フリーターやニートは「おかしい人」に映るかもしれません。
でも、フリーターやニートからすると、モノが十分にあるのに朝から晩まで働いて自分の人生をすり減らして働いている人の方が「おかしい人」に映っているのではないでしょうか。
つまり、これは視点の問題なんです。
今の時代の「やりがい」とは?
新しい時代のスタンダードを作る
現代は「過渡期」とよばれています。
過渡期とは、古いものから新しいものへと移り変わる中間の時期。また、物事が確立されず、動揺している時期
過渡期では、社会の価値観全体が変わっていきます。
昔でたとえると、明治維新のタイミング。戦争が終わったタイミング。
簡単にいうと「当たり前・常識・前提」が崩れていくタイミングです。
現代では「いい大学を出て、いい会社に入り、定年後は年金で暮らす」という安定ルートが崩壊していますよね。
つまり、時代の「当たり前・常識・前提」が崩れているということです。
そうすると、何を・誰を信じていいのかわからなくなる。
与えられていた「やりがい」が崩壊してしまい、非常に混沌とした時代です。
じゃあ、今の時代の「やりがい」はどこにあるのか?
過渡期のやりがいは、「新しい時代のスタンダードを作ること」です。
つまり、現代に生きている僕たちは、古い価値観から新しい価値観に移行していく「過渡期」という時代に生まれた人間。
資本主義が飽和した、その次の時代を作っていくこと、探し続けることがある意味で僕らの最大の生きがいと言えるかもしれません。
マズローの欲求五段階説
アメリカの心理学者アブラハム・マズローが提唱した仮説、欲求五段階説を現代人に当てはめてみると、僕たちがどの段階にいるのかがわかりやすくなります。
欲求の段階 | 欲求の内容 |
---|---|
⑤ | 自己実現の欲求 |
④ | 承認(尊重)の欲求 |
③ | 社会的欲求 |
② | 安全の欲求 |
① | 生理的欲求 |
1943年に発表された論文に基づいているため古典的な説ですが、感覚的に附に落ちやすく、マーケティングなどで顧客心理を可視化するためにたびたび登場します。
この五つの段階の内容を詳細に知っておけば、自分や他人の心を理解しやすくなります。
結論を先に言うと、現代人はすでに④もしくは⑤の段階に生きていると言われています。
①から⑤までを順番に簡単に紹介していきます。
①生理的欲求
食べる、寝る、排泄をする、などなど生きるために最優先される欲求。
一般的な動物はこのレベルを超えることはほとんどないとされていますが、通常の人間であれば即座に次の段階へ進みます。
②安全の欲求
寒さをしのげる家が欲しい、健康でありたい、事故に遭いたくない、経済的な余裕が欲しい、など安全的な状態を得ようとする欲求。
「大きな家が欲しい」、「マッチョ・スリムになりたい」、「お金持ちになりたい」というのは安全の欲求ではなく、承認欲求です。
安全の欲求も現代の日本では満たされている人が多い欲求です。
③社会的欲求
①と②が満たされると次は社会的欲求が現れます。
会社や学校などのコミュニティに属している感覚、社会から疎外されずどこかに属しているという感覚が欲しいという欲求。
欠如すると、孤独感や社会的不安、うつ状態の最もたる原因となるといわれています。
④承認(尊重)の欲求
①〜③が満たされると、社会の中で存在を認められたいという承認欲求が現れます。
承認(尊重)欲求には、低いレベルと高いレベルの2つがあるといわれています。
低いレベルの承認(尊重)欲求 | 他人からの尊敬、地位への渇望、名声、権利、注目 |
---|---|
高いレベルの承認(尊重)欲求 | 事故尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性 |
つまり、低いレベルでは他人からの評価を、高いレベルでは自分からの評価を重視するということです。
⑤自己実現の欲求
①〜④が満たされたとしても、人は自分に適していることをしていないかぎり、すぐに不満が出てくるといわれています。
そしてその結果として現れるのが自己実現の欲求です。
自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、自分が自分であるために生きる欲求。
すべての行動のモチベーションがこの欲求に帰結されるのようになるといわれています。
つまり、社会的な立場や他人からの評価は二の次になるということですね。
たとえば、アルバイトをしながらお笑い芸人を目指している人がいたとします。
その人にとっての自己実現がお笑い芸人になることなのであれば、それは③〜④の段階を超えて自己実現を目指しているということになります。
今の時代をどう生きればいいのか?
自分らしく生きることが可能な時代
マズローの欲求五段階説からして、自分の位置はどこだってでしょうか。
五段階といっても、人間は状況に応じて欲求が異なるため、細かい視点でみていくと①〜⑤を行き来しているかもしれません。
しかし、ある程度満たされている現代の社会を大きな視点でみると④〜⑤の人が多いといわれています。
「他人より出世したい、目立ちたい」というよりも「自分らしく生きたい」と感じている人の方が多いのではないでしょうか。
..
話を戻すと、現代では「働きたくない」という人が増えているわけですが、そういった人たちが「ダメ人間」なわけではないんです。
親や学校の先生のいうような頭のいい大学や、大企業への就職、安全な生き方というものにそもそもとして興味がない。
それは「自分らしい生き方」ではないと心の中で感じている。
それよりも「自分らしく生きたい」という欲求が強い。
そして、自分らしく生きることが可能なほど満たされている時代だということも無意識的にわかっている。
Youtuberなんかがいい例ですよね。
やり方次第では、自分の好きなことをビジネスにして生きることも不可能ではない時代です。
自分らしく生きるためには
昔のパラダイムは”手段”になる
過渡期は非常に混乱した時代。
質問者さんのように「自分の好きなことをして生きたい。でも、現実的には生活のために仕事をする必要がある。」という状態の人は多いと思います。
過渡期では、価値観が変わる中間地点。
おそらく数年〜数十年後は「自分らしく生きることが当たり前だよね」ということが常識になり、世の中の仕組みも変わっている可能性が高い。
なぜなら、次の世代の欲求(求めるもの)が反映されるのが、概ねの時代の流れだからです。
「自分らしく生きたい」という人が多いほど、次は自分らしく生きるための方法・手段・仕組みが開発されていくという感じですね。
その過程では、昔のパラダイム(価値観)は手段になります。
現代では、まともに生活するためにある程度の収入が必要なため、働く必要があるかもしれません。
しかし、昔の人のように「その会社で生涯働き続ける」というふうに決心する必要はないんです。
お笑い芸人を目指している人が、生活費を稼ぐためにアルバイトをしているように、「働くこと」は”手段”にして自己実現を目指せばいいということです。
必要な生活費だけ稼いで、自分の好きなことを思いっきりやればいい。
好きなことをYoutubeで発信して収益化してもいいし、自分でブログを始めてもいいし、グッズを作ってもいい。
「働くこと」は楽しく生きるための手段にしてしまえばいいんです。
働かずに生きていくためには?
楽しいと思うことを仕事にしてしまう
内容をまとめると下記のとおりです。
【まとめ】
- 日本は十分に満たされている豊かな国
- 労働の価値は徐々に下がってきている
- 「働きたくない」の本心は「自分らしく生きたい」
- 働くことは”手段”にして、自分らしさを追求しよう
現在では「働くこと」の意味が失われつつあります。
しかし、他人と接点を持たず、まったく人の役に立たずに生きることも、それはそれで苦しいものです。
僕も浪人時代やニート時代を経験しているので、「何もしないこと」の辛さや息苦しさは知っています。
その結果辿り着いた結論は、自分が楽しいと思うことをそのまま仕事にしてしまうことです。
「それができたら苦労しないよ!」
そう言いたくなると思いますし、達成するためには試行錯誤が必要です。
でも、だからこそ、やりがいがある・目指す価値がある。
他人の目を気にしたり、自己否定しながら生きるよりも、自分らしさを追求する生き方は精神的にはかなり楽(ラク)です。
別の記事では自分らしく生きるための、心のブレーキの外し方について紹介しています。
なかなか行動できないという方はこちらも参考にしてください。
では今日はこれで。
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