「何のために生きてるんだっけ」
これって考えれば考えるほど “絶望” してくると思います。
- お金
→死んだら意味なし - 夢や目標
→死んだら意味なし - 社会貢献
→死んだら意味なし - 憧れのマイホーム購入
→死んだら意味なし
あれ、今やってること、頑張ってることって結局死ぬなら全部意味ないじゃん。。。
僕も一時期こういうことをずっと考えては絶望していました。
「人生 意味」とか「生きる 理由」とかで検索してました。
心理学や哲学書などもたくさん読みました。
じゃあその先にどういう答えが待っていたかというのか?
結論は『生きることに意味はない』です。
心理学、哲学、宗教、ほぼ全ての分野では『生きることに意味はない』というのが答えとしてあります。
そして僕自身も腑に落ちている答えです。
でも一見絶望に感じるこの答えは、ある種生きることの最大の希望かもしれません。
全てのことは意味があり、意味がない
全てのことに意味があり、意味がないという考え方は、仏教で言うところの『色即是空(しきそくぜくう)』にあたります。
- 色
=宇宙にある全ての物質・現象などあらゆるもの - 空
=実体のないもの
色、これすなわち、空
つまり訳すると「あらゆるものの正体は実体のないものですよ」ということです。
例えば、電卓がありますよね。
電卓が登場した時は「これやばい!便利!」と思ったかもしれません。
でも、スマホに電卓機能がついたことで電卓の意味がどんどんなくなってきています。
つまり「意味がある!」と思っていることでも、状況が変われば「意味がない。」と言うものに変わるということです。
そしてスマホの電卓機能も、使わない人にとっては「意味がない」ですよね。
人生も含めたあらゆる物事は最終的に意味があり、意味がない『空』という存在だということです。
人生にそもそも決まった意味はない
人生も色即是空で、もともと決まった意味なんてありません。
教育課程の中で
- 良い会社に入りなさい
- 良い大学を卒業しなさい
- 夢を追いかけなさい
- 人の助けになりなさい
- 人の迷惑にならないように生きなさい
- 結婚して良い家庭を築きなさい
などなど、いろんな『人生の意味』を刷り込まれると思います。
でも、これもウソです。
あたかも人生にはもともとゴールが決まっていて、そこを目指さないといけないみたいな洗脳教育を受けますが、それは幻想です。
つまり、その幻想から覚めた人が「何のために生きてるんだっけ」と気づくわけです。
僕はそれが就職後でした。
人生に意味がないからこそ楽しい
「人生に意味はない」と言われたら、もしかしら人によっては絶望するかもしれません。
僕も「今までの人生は何だったんだ…。頑張っている今は何なんだ…。」と絶望しました。
でも、実はこれが楽しい人生の始まりでした。
意味がないからこそ、自分で自由に意味を付けて良い
この言葉を聞いた時、何かがパーンと外れた気がしたんですよ。
そうなんですよね。
そもそも人生に意味があれば、人の人生というのは完全に不自由です。
例えば生まれた時点で「あなたの人生の意味はサッカーをすることです。」と決まっていたとしましょう。
その人はサッカーをすることしか許されません。
「え…。でも野球したい…。」
と思っても、「ダメです。あなたの人生の意味はサッカーをすることです。そう決まってます。」と言われます。
体力が落ちてきて引退した後も「なに引退しているんですか?あなたの人生の意味はサッカーをすることでしょう?早く現役に戻ってください」と詰め寄られます。
こんなのは人生の奴隷です。
人生の意味は自分で付けて良い
勘のいい人はもう気づいたかもしれませんが、人生の意味は自分自身で付けていいんです。
「やりたい!」と思ったことをやればいいし、「やめたい!」と思ったらやめればいい。
それは自分の自由です。
つまり、人生はそもそも意味のないものに、自分で自由に意味をつけていくものです。
不思議なことに人間は自分がやりたいことには莫大なエネルギーを発揮します。
不思議なことに、やりたいことをやっていると人生が楽しくなる。
自分の人生を生きていれば、人生に意味があるのか無いのかなんてどうでもよくなる。
まとめ
自分で人生の意味を、自分自身で見つけるという作業は口で言うほど簡単ではありません。
「これだ!」と思っても「違うかも…」と迷う時もあります。
その過程で、人生に本来レールなんてないし、意味なんてないことに気づくと思います。
でも、この経験をした人はマジで強いです。世間の洗脳から解放された人です。
心が自由になっていきます。
自分の人生を自分で決め、自分で歩く力がついていきます。
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